【活性化施策について

 それじゃ、とにかく電車を走れるようにしてみよう、ということで、本格的にここでやっていただいた。この結果,水を得た魚のごとく、電車が走れるようになり定時制が戻ると同時に利用者も戻ってきたのです。

(景気が悪くなると)

 ところが昭和48年に、第1次オイルショックで景気が悪くなりました。それで景気が悪くなると、皆さん、金の要るマイカーやタクシーよりか安い電車やバスに乗るだろうということで、かえっていいのではないかとおっしゃるのですが、そうではございませんで、景気が悪くなりますと.今、平成3年からバブルがはじけてまだ回復いたしておりません。

 なぜかといいますと、まず財布のひもが非常に硬くなります。やはり消費を自粛するということがあります。それから雇用が減ってまいります。パートなんかはすぐ切られてしまいます。それで出られなくなる。そういったことがあります。

 ですから朝夕の通勤通学というのは、まったく変わりません。不景気になっても景気が良くなってもそれは変わりません。日中のお客様達がどれだけ出てもらうかということが、その利用者の増減が発生する大きな要因なんですね,ですから、利用者数が下がってきたんですが。

(昭和50年代が節約の時代とミニバイクブーム)

 これが第2次のオイルショックへ向けて減少傾向が続きました.昭和50年代が節約の時代とミニバイクブームになってまして、ちょうど昭和53年頃でしょうか?八千草薫さんのコマーシャルで「わたしにも乗れます」というミニバイクのパッソーラが出てきまして、1リットルで一週間ぐらい奥様が家の出口からデパートの玄関口までパーっと乗り付けられる、非常に便利なもので、そういった事でだんだんとその利用者が減ってきたわけですが。

(路面電車の運行状況試験装置設置)

 ちょうど57年を底にグーと上がってきております。これは何かといいますと、ここで路面電車の運行状況試験装置設置というのをやっております。つまり電車がいつ来ますというのを電停でやったんですね。先の見えない電停でいつくるか分からないというのが泣き所だったんですが、運行管理者のほうもいったん電車が出庫して行きますといつ帰ってくるか分からんという、何処で何があっても分からないというのがありまして、電車の運行状況が分かるような装置がほしいと言うので昭和55年に運輸省科学技術補助金を頂きまして、電車がいまどこを走っていて、次何処行きの電車が来るのかというのもお客さんに分かるようにした。

(運賃改定、値上げの間隔が遠かった)

 そうするとバス停で待っておられたお客さんが電停でそれがピッカピッカ光っているのを見てパッと電停に来られたりですね、非常にサービスが良かった、待たないでいいと言うようになってきまして、また昭和58年にこんどは運賃の関係ですが120円に運賃改定し、平成元年にこんどは消費税の関係で130円にしたわけですが、その間電車は市内線も宮島線もお客さんが増えてきたために、値上げの間隔が遠かったんですね、その間バスのほうはお客さんがずっと減っておりましたので、2年ローテーションで運賃があがっておりました。

 この2年と言うのも暫定運賃ですので、毎年10円値上がりしておりました。と言うようなことで非常にバスが高いと言うことになりますね、これで運賃が安いということで電車のほうにお客さんが来られたと言うこと、それともう一つは直通ダイヤ、鉄道から軌道への直通ダイヤを増やしておりまして、いわゆる乗換えの不便がなくなって市内へ入りやすくなったという風なことがいろいろありまてた。

(午後のラッシュの増便をするとか、終便を0.5時間を伸ばすとか、利便性の向上)

 さらに午後のラッシュの増便をするとか、終便を0.5時間を伸ばすとか、いろんなダイヤでお客さんのニーズに合ったことをやっていると言うことで、いわゆる運賃格差の問題と、利便性の向上といったことでお客様が増えてきたのかなと思っております。

 でこの宮島線のほうは、ズーっと未だに増えておりますが、この宮島沿線に宅地が増えておりまして、人口が増えている関係があって利用が多いんですけれども、やはりバイパスとか2号線とかが渋滞して市内に入るのに時間がかかるというので、途中でうちの宮島線とかJRの山陽本線とかに、いわゆる鉄道系に乗換えをされておられると言うことで、現在も利用が増えているということです。


枚方・LRT研究会ホームページへ  講演目次へ  前ページへ  次ページへ